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経済紙には載らない半導体不足の要因が有った
世界的な半導体不足の原因は、どこにあるのでしょうか。
最近、半導体不足のニュースを、しばしば目にするようになりました。
それは、日本だけの問題ではなく、世界的に半導体が足りなくなっています。半導体が思うように入手できないために、自動車メーカーが生産計画を下方修正しています。
また、半導体が入手できないために、給湯器が生産できず、給湯器が壊れても入れ替えが出来ずに困っているというニュースも報じられていました。しかし作れないのは自動車や給湯器だけにとどまらず、影響は多くの電子機器に波及しています。
新型コロナの流行により、東南アジアの製造工場がストップしてしまったためだとか、日本のメーカーの工場が火災を起こして、一時期、生産が止まってしまったためとか、いくつかの理由が語られていますが、本当にそれが原因なのでしょうか。
ここでは、世界的な半導体不足はなぜ起こったのか、真の原因を解説したいと思います。
日本の半導体事情を振り返る
1990年代に入ってしばらくの間、日本は世界の中の半導体王国と言われていました。当時、日本の半導体技術は世界をリードしており、宇宙ロケットも、最新鋭のジェット戦闘機も、日本の半導体が無ければ作れない、と言われていました。
しかし、それもつかの間。日本の半導体需要は、2000年をピークにして、以降は徐々に右肩下がりに落ちて行きます。その時、世界全体が右肩下がりかというと、そんなことは無くて、世界の半導体需要は今日に至るまで、ずっと右肩上がりに伸びています。需要の中心が、日本や欧米から、中国やアジアに変わって行ったのでした。
ルネサスエレクトロニクスの登場
2003年に、日立と三菱の半導体部門を統合して、ルネサステクノロジが発足します。同じ時期に、NECが半導体部門を切り離して、NECエレクトロニクスが出来ました。そして、2010年には、ルネサステクノロジとNECエレクトロニクスが統合して、ルネサスエレクトロニクスをなります。これで、東芝を除く日本の半導体会社の主力が統合したことになりました。
ルネサステクノロジが出来る前は、日本の総合電機メーカーは、どこも半導体製造部門を持っていましたが、ルネサスの登場によって、日本の半導体メーカーは、ルネサスと東芝に絞られたことになります。
ルネサスの登場は、日本の半導体生産能力をより高めたのかというと、どうも、そうとは言えないようです。日本の半導体需要は、2000年をピークに、徐々に落ちて行くのですが、その中で誕生したルネサスは、総合電機メーカーが、設備投資に莫大なコストがかかる半導体部門をうまく切り離したという側面が見えます。
ルネサスエレクトロニクスの失速
鳴り物入りでスタートしたルネサスエレクトロニクスですが、その足取りは、決して順調ではありませんでした。スタート時点こそ、日の丸半導体ともてはやされましたが、次第に海外勢が伸びたことも有り、経営難から、リストラを繰り返すようになります。
日進月歩の半導体業界の中で、次第に技術面でも世界に後れをとるようになります。新技術を開発して利益を上げるというよりは、リストラで帳尻を合わせているという状態が続くようになりました。
東芝の衰退
半導体業界の中で東芝は最も重要な位置を占めていました。半導体と言えば、マイコンやメモリを思い浮かべますが、東芝はそれだけではなく、ダイオード、トランジスタ、フォトカプラなど、まんべんなく生産し、あたかも、半導体の総合デパートのような存在でした。
しかしその東芝も、経営の失敗も重なり、徐々にその力を落としていきます。そして、半導体部門を縮小して、外資によって生かされていると言った状態にまでなってしまいました。
こうして、ルネサスの低迷と東芝の衰退が重なり、日本の半導体は無残にも世界から取り残されていくこととなりました。
製造業の中国および東南アジア進出
1990年代に入ると、日本の製造業は、より安い人件費を求めて、中国に工場進出を始めます。当時の中国の人件費は、日本円に換算すると、一般労働者で1ヶ月5000円程度でした。都市部では1万円というケースも有ったようですが、逆に、少し内陸に入ると、3000円と言われていました。同時期の日本の高卒初任給は、15万円を超えていましたから、30分の1ということになります。
中国進出当初は、人件費のウエートの高い組み立て工程を中国で行うという方法が主流でしたので、部品などは日本で作ったものを中国へ送るというスタイルだったのですが、やがて2000年代に入ると、さらなるコストダウンのため、部品メーカーも中国に進出していきます。
そして、親会社の進出によって、そこにぶら下がっている子会社や下請けの企業までもが、中国に進出していきます。その結果、日本国内の製造業は、どんどん空洞化していきました。
日本の電子産業の主力は、自動車製造とパチンコ台製造
製造業の中国進出によって、日本国内の電子産業は、自動車産業とパチンコ台製造が支えるようになります。
自動車には、数えきれないほどの半導体が使われています。メーター類から、パワーウィンドウやワイパーなど、ほとんどが、いわゆる電気で制御されています。しかも、最近は、エンジンから電気モーターに変わってきていますから、さらに半導体の使用量は増えるばかりです。
一方、パチンコ台は、昔のイメージからは想像できないような電子機器に進化しています。一台のパチンコ台には、電子部品を実装した30種類前後の基板が組み込まれています。しかも、パチンコ台の中央には、大きな液晶画面が配置されています。ですから、量産されるパチンコ台向けに、大量の半導体が使われているのです。
パチンコ台製造の特殊性
1990年代からパチンコの電子化が急速に進み、パチンコ台は立派な電子機器の一つとして成長していきます。そして、2000年代に入ると、電子部品の重要な販売先としてクローズアップされていきます。
大手のパチンコ台製造メーカーは、それぞれが人気機種を抱えており、その人気機種は発売されると、数十万台が売れるという状況でした。また、顧客に人気が無いパチンコ台は、設置されても3~4カ月程度でパチンコホールから撤去され、代わりに新しいパチンコ台が設置されます。ですから、次から次と新しいパチンコ台が作られていきました。
なぜ大量生産されるパチンコ台が中国生産にならなかったのか
1990年ころから製造業の中国進出が始まりました。電子機器を製造するメーカーも、量産品をどんどん中国に移管していきました。しかし、パチンコ台の製造は、日本国内に残ったままでした。
ここに、パチンコの特殊性が有ります。
パチンコ台は、不正防止のため、警察によって、一台一台チェックされます。まず、量産をする前に、その台を販売してよいかどうかの認証を取らなければなりません。そこでは、警察が決めた出玉率が守られているのかなどを中心に審査されます。
その審査に通って、初めて量産に取り掛かれるのです。
さらに、出来上がった台をパチンコホールに設置する際、一台ずつ検察にチェックされて、認証されて初めて使える台となります。
設置する際のチェックでは、量産前に認定されたものと同じかどうかのチェックもされます。このことから、量産になって中国に生産移管したら、最初に認定されたものと違うものが出来上がってきたら、すべて使えない台となってしまうので、リスクが大きく、対応ができないものです。内容は同じでも、色味が違うということだけでもアウトとなるケースも有るので、どうしても海外生産に踏み切れないというのが実情です。
パチンコ台が中国製造にならないもう一つの事情
パチンコ台の販売は、即決即納という商習慣が有ります。パチンコホールから注文をもらったら、速やかに納入しないと、キャンセルされて、他のメーカーに取られてしまうということが、しょっちゅう起こります。
ですから、中国で生産して日本に運んで、などという時間の余裕がない、ということも大きな理由です。
自動車の製造が日本国内に残っているのはなぜか
自動車産業は我が国の基幹産業ですから、国策として日本に残り続けているという事情が有ります。それでも、1990年代に、日本車の大量の輸出にアメリカからバッシングを受けてからは、どんどんと海外生産に移行していきました。基本的には、海外に販売する車は海外で生産するという流れですが、それでも、まだまだ日本からの輸出は多いので、我が国の輸出の主力であることには変わりが有りません。
携帯電話向け半導体の推移
1990年代ころから始まった中国への工場進出によって、国内の産業が空洞化していきましたが、それでも、2007年にiphoneが登場するまでは、携帯電話が国内の電子産業をけん引していました。NECの折り畳み携帯が一世を風靡して、他の携帯各社もそれに続いていました。
しかし、2007年にiphoneが登場すると、日本の携帯電話はことごとく駆逐されていきます。iphoneは、新規発売当初は、日本製の半導体を多く使用していたのですが、その比率はモデルチェンジのたびに減っていきました。
日本の半導体事情は?
1990年代は、日本が世界の半導体のおよそ50パーセントを生産していました。しかも、半導体メモリのDRAMだけで言えば、1990年代は世界の80%が日本製だったのです。
しかし、2020年になると、日本が占める半導体の比率は、わずか6パーセントになってしまいました。
日本の半導体が無ければ、世界の電子産業は成り立たないと言われた時代から、ほぼ存在感の無い位置まで落ちてしまいました。
かつての半導体メモリのDRAMの開発競争を思い起こすと、それはメモリ容量の進化のすさまじい競争でした。メモリ容量を増やすということは、いかに微細な半導体の回路を歩留まり良く製造するかということでした。それは、改善を重ねる日本企業の得意とするところでした。ですから、しばらくは日本の天下だったわけです。しかし、その競争は次第に改善だけでは立ちいかなくなり、莫大な資本投下による設備投資の競争になって行きます。
日本の半導体メーカーは、次第に韓国や中国に負けて行きます。それは、韓国や中国は、国がバックアップして、大きな資本投下を可能にしていたことが大きな要因でした。引き換え、日本はそれぞれの一企業任せであったために、世界的な設備競争について行けず、半導体事業が企業にとって重荷になって行きました。
日本の半導体産業衰退の原因は、自動車とパチンコ台産業
国内の半導体の大口受給先が、自動車とパチンコ台と言われるようになって、日本の半導体の進化にブレーキがかかることになります。
まず自動車ですが、新型車の開発には長い時間がかかるのですが、いったん発売されると、5~6年はモデルチェンジが有りません。ですから、新規設計時に採用された半導体は、フルモデルチェンジが有るまでは安定した注文が有ることになります。そうなると、半導体としては、新規開発よりも、歩留まり改善に力を注いだ方が利益に結び付くこととなります。
次にパチンコですが、新規パチンコ台を発売するためには、まず、警察の外郭団体である保通協というところで、認定を受ける必要が有ります。出玉の確率や動作の制御の仕方などが、保通協が指定するスペックを満たしているかを審査します。
指定するスペックは、最新鋭の半導体が使えないスペックになっています。なぜなら、出玉の確率などを制御する回路が、正しいのかどうかを、保通協が審査できないからということです。ですから、使用するマイコンなどでも、そのスペックは低く抑えられ、世の中の進歩とは乖離したものとなっています。
そのような低いスペックの半導体ですが、パチンコに採用されると、一機種だけでも数万から数十万個の注文が出るため、半導体メーカーはそれで利益が出ることになります。むりにハイレベルの半導体を開発する必要が無くなります。
これらの理由が重なって、日本の半導体は、無理に世界の最先端を進まなくても良いという流れになってしまったのです。そして、いつの間にか世界の波から取り残され、世界での半導体シェアが6パーセントというところまで落ち込んだという訳です。
日本の没落が世界の半導体不足につながった
日本の製造業がとてもまじめなのは、誰もが認めるところでしょう。例えば、お客様が要望する日程に間に合わないとなれば、残業したり、休日出勤をしたりして頑張りますし、人が足りないとなれば、求人したり、場合によっては派遣社員を集めたりするでしょう。また、この先も需要が有ると判断すれば、装置メーカーと協力し合って、急いで設備投資をするはずです。
しかし、海外のメーカーは、基本的に日本のメーカーのような対応はしません。間に合わないものは間に合わない、人が足りなければ、むしろ生産を落とすような流れとなります。コロナで人が集まらないために生産が出来ない、という状況は、まさにこのことだと思います。
もし、かつての1990年代のように、日本のメーカーが世界の50パーセント近くのシェアを持っていたら、半導体不足は、もっと早く解消していたのだろうと思います。残念ながら、日本が世界の中で、ほとんど影響力が無いレベルの生産しかできていないことが、半導体不足が長期化している大きな要因であると言えます。
日本の半導体産業は立ち直れるのか?
1990年代のころ、軽小短薄という言葉が流行語となり、製品を、より小さく、より薄くという開発競争が繰り広げられました。その主役は、半導体の進化でした。しかし、高度化した半導体は、一企業の資金力では立ち行かないほど大きな設備投資が必要となりました。
最近、政治の世界で、もう一度日本の半導体を盛り上げようという動きが有るようです。
そのためには国が資金面をサポートしなければならないということは言うまでもないでしょう。
半導体製造のような微細技術は日本の得意とする分野ですから、政府は、もう一度、世界の半導体は日本が担うという意気込みでサポートして欲しいものだと思います。
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